4.ボツリヌス菌―食品工業にとっての大敵

ボツリヌス菌のプロフィルとボツリヌス食中毒の特徴

 ボツリヌス食中毒は、食品中でボツリヌス菌(Clostridium botulinum)が増殖して産生する毒素の摂取によって引き起こされる毒素型食中毒である。ボツリヌス中毒の語源は、ラテン語のボツルス(botulns)、つまりハム・ソーセージのような腸詰食品による病気という意味からきている。食肉製品消費の多いヨーロッパ諸国では、それらによる食中毒が1000年以上前から知られているが、ボツリヌス菌が初めて分離されたのは1895年ベルギ

ーのバン・エルメンゲム(Van Ermengem)によってである。ボツリヌス中毒は細菌性食中毒の中で最も致命率*が高い点で古くから恐れられていた。この菌は後述するように嫌気性菌で芽胞を形成する。従って、ハム・ソーセージの内部のように空気のない嫌気的条件下を好んで増殖するためで、現在のように冷蔵庫のない時代には食肉製品の常温保存中にしばしば毒素が作られ、これによる中毒が発生したものである。

またボツリヌス菌は、缶びん詰やレトルト食品などの加熱殺菌の目標にされてきた。それは後述するように、本菌が強大な耐熱性を有する芽胞を作ることと、缶びん詰は脱気工程により内部が嫌気的になっていて、しかも製品を長期間常温で保存するためである。去る昭和59年6月、熊本県産の真空包装「辛子れんこん」で、14都府県下で33名(うち9名死亡)のA型ボツリヌス患者と3名の疑似患者(うち2名死亡)が発生し、大きな社会問題となったのは記憶に新しい。また最近、蜂蜜による乳児ボツリヌス症が大きな話題となった。

 ここでは、2回にわたり、ボツリヌス菌とボツリヌス食中毒やその予防対策について述べることにする。     

*致命率=死者数/患者数×100(%)     

ボツリヌス菌のプロフィル

 ボツリヌス菌はグラム陽性菌で芽胞を形成し、数本の鞭毛を持って運動性がある。ボツリヌス菌は産生する毒素によってAからG型まで7型に分離され、ヒトの食中毒を起こすのは、A、B、E、Fの4型である。本菌の毒素型と、り患動物、主な媒介物(食品)および地域的分布を表1に示した。

 ボツリヌス菌の生化学的性状等の詳細は専門書に譲り、ここでは省略するが、食品工業にとって関連の深いA型菌(たん白分解性)、および北海道・東北で発生する“いずし”によるボツリヌス中毒の原因菌となるE型菌(たん白非分解性)の主な性状を比較したのが表2である。

(1)芽胞の耐熱性

 ボツリヌス菌の中でA、B型菌芽胞は特に耐熱性が強大であって、古くから缶びん詰の加熱殺菌の目標とされてきた。A型菌芽胞の耐熱性は表3に示したように、100℃の沸騰水の中で完全に殺滅するには6時間もかかる。わが国では、昭和49年にフリルフラマイド(AF2)が使用禁止になったが、これに伴い常温で保存・流通する魚肉ハム・ソー

セージについては水分活性(aw)の調整、または、中心部の温度が120℃で4分間またはこれと同等以上の殺菌効果のある加圧加熱が現定された。

そして、昭和52年には内容物のpHが5.5以上の缶びん詰およびレトルト食品に対して上記同様の加圧加熱殺菌条件を現定した。これはボツリヌスA型菌芽胞の完全殺滅を目標にしたものである。

 なお、たん白非分解性のE型菌芽胞の耐熱性は低く、80℃で6分間程度で死滅する。

(2)ボツリヌス毒素の耐熱性

 ボツリヌス菌の産する毒素は単純たん白質といわれ、熱に対しては不安定で、80℃、30分、100℃で10分間の加熱で完全に無毒化する。従って、食べる直前に食品を十分に加熱することは本菌による中毒予防に有効な手段である。

ボツリヌス食中毒の特徴

 すでに述べたようにボツリヌス食中毒は毒素型食中毒に属する。ボツリヌス毒素は、あらゆる毒物中で最も猛毒である(ワンポイント・レッスン参照)。

(1)中毒の発生状況

 わが国におけるボツリヌス中毒の発生の歴史は比較的新しく、昭和26年北海道岩内町で自家製の“いずし”によって14名が発病し、4名が死亡したのが最初の公式報告例で、それ以来毎年1〜2件発生していて、昭和59年までに95件、482名の患者が発生し、112名が死亡している(致命率23.2%)。

 諸外国の事例を見ると、米国では1899〜1975年に722件、患者数1,833名、うち死者数987名(致命率53.8%)、カナダ(1919〜1973年)では62件、患者数181名、うち死者数84名(致命率46.4%)である。一般に諸外

国の致命率は30〜76%と極めて高い。わが国のボツリヌス中毒で致命率の低いのは、後述するように、ほとんどがE型中毒で、この中毒の治療には、抗毒素血清が有効であるためといわれている。

 ボツリヌス食中毒の原因食品は、ヨーロッパ各国ではハム・ソーセージ等の食肉製品によるB型の事例が多いが、米国では古くから野菜等の自家製缶詰によるAおよびB型中毒事例が極めて多い。

わが国で発生するボツリヌス中毒の原因食品は、“いずし”およびその類似品による事例が圧倒的に多い。しかもこれらの漬物は自家製のものが大部分で、市販の“いずし”による中毒例は、昭和37年の北海道豊富町における集団発生の1件に過ぎない。上記“いずし”の事例はすべてE型菌によるものであった。昭和44年8月宮崎県で発生した中毒はB型菌による事例で、ある会食で発生したものである。出席者65名中21名が中毒し、3名

が死亡したが、原因食品は西ドイツから輸入された模造キャビアであった。昭和51年には東京都内の家庭で2名のA型中毒が発生し、1名が死亡した(原因食品不詳)。59年6月、冒頭に紹介した熊本産の真空包装辛子れんこんでA型ボツリヌス中毒が発生した。このほかに公式記録には収載されなかったA型中毒が、56年新潟県下で発生し、2名の患者(うち1名死亡)が出た。

(2)潜伏期と症状

 ボツリヌス食中毒の潜伏期は12〜36時間が普通であるが、2時間から、長い例では8日間というのもある。

 主な症状は特異的な神経症状であるが、その前に悪心、嘔吐、腹痛、下痢などの消化器症状の現れることがある。神経症状としては眼症状が必ず現れ、視力低下、複視(物が二重に見える)、眼けん下垂、瞳孔散大などが起こる。また口渇、舌のもつれ、嚥下困難、唾液の分泌停止、声のかすれといった咽喉頭麻痺、便秘、腹部膨満、呼吸困難、四肢脱力感、あるいは歩行不能などが見られ、重症では閉尿がある。意識は最後まで明瞭で、死亡の直接原因は呼吸困難による窒息で、多くは発病2〜3日以内に起こる。

 ボツリヌス食中毒の最も確実な診断は、患者の血液、糞便および原因食品からボツリヌス毒素を証明することである。

 本中毒の治療は、早期に抗毒素血清を投与するのが有効とされていて、それ以外の特効薬は知られていない。

(以下次号)


   ワンポイント・レッスン

この世の中で最強の毒―ボツリヌス毒素

 ボツリヌス毒素は猛毒であるといわれるが、一応他の代表的な毒物と毒力の比較をしてみよう。

 毒素(毒物) (L D50 μg/kg、マウス、腹腔内注射)


 ボツリヌス毒素(A型、結晶)

 シフテリア毒素

 サキシトキシン(麻痺性貝毒の1種)

 テトロドトキシン(フグ毒)

 ストリキニーネ

 青酸ナトリウム


    0.00003

    0.3

   10

    8.7

  500

10000


 つまりボツリヌス毒素は、猛毒として知られているフグ毒の29万倍、グリコ・森永事件で話題となった青酸ナトリウム(ソーダ)の3億倍以上の毒力を持っていることになる。

 なお、1μg(マイクログラム)は100万分の1グラムで、ここに記載し毒力は、マウスの腹腔内注射をした時のLD50(50%致死量)で表した。


 (河端俊治:国立予防衛生研究所食品衛生部客員研究員・農学博士)