1.エルシニア・エンテロコリチカ

5℃以下でも増殖する厄介な食中毒菌

 エルシニア・エンテロコリチカYersinia enterocoliticaは、昭和57年厚生省によって新たに指定された食中毒細菌の1つである。本菌による食中毒発生事例は、腸炎ビブ リオやブドウ球菌食中毒に比べはるかに少ない。しかし、小学校・中学校などの集団給 食で発生した事例では患者数は100名を超し、ときには500名、1000名を超える大型中 毒の発生例もある。

 本菌中毒の主な症状は、発熱、腹痛、下痢、嘔吐であるが、ときには急性虫垂炎症状 (いわゆる盲腸炎)を呈することもある。

 本菌の感染経路は、これまでの食中毒事例では原因食品がほとんど不明なため、明確 ではないが、ヒトに対して病原性を示す血清型の分布調査で、健康なブタ、イヌ、ネコ、 ネズミなどが保菌しており、これから飲食物への汚染が重要であると考えられる。

エルシニア・エンテロコリチカのプロフィル

 本菌は腸内細菌科に属するグラム陰性の桿菌で、芽胞は作らない。この菌はペストの原因となるペスト菌(Y.pestis)の仲間で、本来人畜共通伝染病菌であるが、昭和47年静岡県下の小学校等の給食により2件の集団食中毒の発生以来、にわかに注目されるようになった(表1参照)。多くの菌株は周毛性の鞭毛を持ち、20〜30℃培養では運動性を示すが、37℃培養では運動性を示さない。発育最適温度は25〜30℃であるが、5℃以下の低温、特に0℃でも増殖するものもある(ワンポイント・レッスン、図3参照)。

本菌は、生物学的性状から5つのタイプに分けられ、血清学的 にO抗原が57種、K抗原が6種、H抗原が19種明らかにされている。本菌は自然界に広く分布しており、特に動物の腸管内に常在菌として保菌されている。ヒトに対して病原性のある主な血清型はO3、O5、

O8およびO9の4型であるが、食中毒患者から検出されている菌の血清型は大部分がO3型である。この血清型は健康なブタからよく検出され、またイヌ、ネコもしばしば保菌している。ブタは、と殺、解体時に枝肉や内臓などの汚染につながり、ペット動物もヒトへの感染源となる。健康なヒトの本菌の保菌率は極めて低いといわれる。

エルシニア・エンテロコリチカ食中毒とその特徴

(1)食中毒の発生状況

 本菌によるヒトの感染症は世界各地で報告されている。日本における集団発生例は、表1に示したように昭和47年の静岡県の小学校・幼稚園の事例(喫食者441名、患者数188名、発病率42.6%)以来、9例が確認されている。いずれも学校等(小・中学校・幼稚園・養護施設)の集団給食によって発生している。

中でも昭和55年沖縄の小・中学校の給食による事例は、喫食者8,855 名中1,051名が発病(発病率11.9%)という大規模なもので、この時の原因食は加工乳で あった。外国の事例では、1976年アメリカのニューヨーク州の学校でチョコレートミルクによる事件以来、

数件の発生があり、カナダでは、1975年小学校における集団発生がある。これらの患者から分離された血清型は、日本、カナダ、ヨーロッパではO3群、アメリカではO8群が主体を占めていて、本菌の分布には地域特性があるように見受けられる。

(2)原因食品

 わが国で発生した集団中毒例では、沖縄で発生した加工乳による事例以外の原因食品 は明らかにされていない。しかし、これまでの症例の検索、本菌の分布調査から見ると、 ヒトへの感染源としては、食肉、ミルクおよびペット動物が注目され、そのうち食肉を 介する感染が最も重要であるように思われる。またイヌ、ネコ、ネズミなど保菌動物の 排泄物による二次汚染食品、飲料水などが原因食となる可能性がある。別に記載するよ うに、本菌は他の食中毒菌と違って低温増殖性があり、食品の低温保存条件には注意し なければならない。本菌は芽胞を作らないで65℃以上の加熱で容易に死滅する。従って、 十分な加熱調理は本菌の中毒予防に有効である。

(3)沖縄で発生した加工乳による中毒例

 昭和55年4月沖縄で発生したエルシニア中毒例は、表1に示した9例中最大規模のもので、しかも原因食品の判明した唯一の事例なので、ここに概要を紹介する。この事件は同年4月10日から12日にかけて、那覇およびコサの2保健所管内の小・中学校計9校の児童生徒84名が腹痛、嘔吐、下痢などの中毒症状を呈したことから始まる。その後の調査で、14校、1,051名の患者数に達した。疫学調査により、4月9日の学校給食は、8校が3か所の給

食センターで調理され、1校は学校内の施設で調理された。給食内容は3か所の給食センターによりそれぞれ異なっていた。しかし、患者発生の共通食品としては学校給食用加工乳があり、これが本事例の感染源であることが確認された。すなわち、初発患者の見られた2日前の4月8日製造の加工乳5検体中4検体から患者から分離された菌と同じ血清型(O3)のエルシニア・エンテロコリチカが検出され、この加 工乳が感染源となったことが確認された。

 しかし、加工乳そのものの汚染源、汚染経路は不明であったが、加工乳を製造したM乳業の工場におけるビン詰め充てん機および、サージタンクから充てん機までのパイプ洗浄・消毒が不十分であることが確認され、またビン詰めの消毒過程で、ノズルの目づまりにより消毒用の次亜塩素酸ナトリウムがかからず、ビンの消毒不十分が問題点として指摘された。当然のことながら感染源となったM乳業に対しては、営業停止命令が出され、早急な施設の改善命令が出された。

エルシニア食中毒の予防対策

 本菌による食中毒の予防対策についてとり まとめた都衛研の伊藤氏2)のスキームを引用 して図1に示した。

 その要点は次の3項目にまとめられる。

汚染防止 と場衛生の推進、食肉店舗や飲食店における食肉を通じての二次汚染防止。

除菌・殺菌 食肉製品の製造や食肉の調理に際しては、中心温度が70℃以上になるよう加熱する。

菌の増殖の防止・抑制 食肉の低温流通、保存の徹底。ただし、一般に食中毒細菌の 増殖防止のための目安とされている「10℃付近」では不十分で、この温度では本菌はかなりよく増殖する。普通の電気冷蔵庫(5〜10℃)中での生肉類の保存は短時間に限り、長く保存するときは冷凍すること。


ワンポイント・レッスン

エルシニア菌は低温度でも増殖

 多くの食中毒細菌は10℃以下になるとほとんど増殖しないし、毒素も産生しなくなる。 今まではE型ボツリヌス菌だけは例外的に3.3℃という低温で増殖することが知られてい た(この菌は、この温度で約3週間後には毒素を生成する)。最近、エルシニア菌が0〜 5℃という低温で増殖することが明らかにされ、注目されている。図2にはスライスし たハム(浅川ら3)

1976)、図3には生牛肉(Hannaら4)、1977)におけるエルシニア・エンテロコリチカの増殖と温度の関係を示した。エルシニア菌の0〜5℃という低温での増殖性は、本菌による食中毒予防対策上から極めて重要な特徴といえよう。


  文献

1)浅川 豊:食中毒U(坂崎編)P.181、中央法規出版(東京)(1983)

2)伊藤 武:第118回三e技研セミナー講演集、P.19 三e書房(東京)(1987)

3)浅川 豊ほか:静岡衛研報、19、1(1987)

4)M.Hanna et al.:J.Food Sci. 42、1180(1977)

 (河端俊治:国立予防衛生研究所食品衛生部客員研究員・農学博士)