|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1.腸炎ビブリオ ──
細菌性食中毒の王者
豪華さが売りものの都心のホテルで
発生した集団食中毒 ──
去る8月21日早朝、東京都千代田区にある赤坂プリンスホテルで、商社の研究会に参加した女性客431名の間に食中毒が発生した。
都衛生局と麹町保健所の発表によると、原因は20日夕のパーティーに出たフランス料理のフルコースによることが明らかにされ、その後の調査で中毒の原因は腸炎ビブリオによることが判明した。患者数は194名(発病率45.0%)、幸い死者は出なかった。超モダンで豪華さを誇るホテルで発生した事件だけに、テレビ、新聞、週刊誌などで事件は派手に報
道され、街の大きな話題となった。安全で良い品質の食品を調理、加工し、流通させるのは食品営業者の大きな社会的責務である。食中毒が発生し、死者まで出るようなことになれば、その原因施設は社会的な信用の失墜やイメージダウンだけでなく、刑事責任の追求のほか、莫大な補償金の請求などにより、しばしば倒産にまで追い込まれることがある。(例:昭和59年6月熊本特産の辛子れんこんの真空包装製品によるA型ボツリヌス中毒事件)。
腸炎ビブリオのプロフィル
腸炎ビブリオの歴史は比較的新しい。昭和25年大阪で発生したシ
ラス中毒(患者数272名、うち死者20名)で大阪大学の藤野教授らがある種の細菌を分離
した(Pasteurella parahaemolyticaと命名)。その後昭和30年8月、国立横浜病院で
「きゅうりの浅漬け」により入院患者等に120名の食中毒が発生した際、同病院の滝川博士
により患者の便から
菌が分離され、人体実験によって病原性が確かめられた。この菌は
2〜4%の食塩が存在する環境で最もよく増殖するところから、病原性好塩菌と名付けられ、さらに、先の大阪のシラス中毒も同じ細菌によることが分かった。厚生省でも食品衛生調査会に「病原性好塩菌特別部会」を設置し、全国規模で調査研究が進められた。
|
|
|
昭和30年代の終わりには日本細菌学会で「腸炎ビブリオ」と命名され、学名をVibrio parahaemolyticusと正式に決定し、この名称が国際的にも承認されている。
この菌の特徴は、上記好塩性(2〜4%の食塩要求性)のほか、
大腸菌などの腸内細菌のものに比べて増殖(細胞分裂)が非常に早く、37℃では8〜10分
ごとに分裂する。
このため、魚介類が本菌によって汚染され、夏季の室温で放置されれば3〜4時間で中毒菌量に達する可能性がある(ワンポイン
|
|
|
|
ト・レッスン参照)。これが夏季、刺し身や寿司など魚介類の生食による腸炎ビブリオ中毒発の大きな原因となっている。
|
|
|
生魚介類の調理に使用したまな板、包丁、容器、器具
および人の手指などを通じて、加熱調理済みの食品へ二次汚染したため
に発生した中毒事例が多い。
今回の赤坂プリンスホテルの中毒発生の仕組みについては、東京都や麹町保健所で詳細調査中であるが、新聞等の報道から察すると、材料に使ったエビやカニからの二次汚染によって引き起こされた可能性が大きい。
腸炎ビブリオは、大きさ0.4〜0.64×1〜3μmのグラム陰性の桿菌で1端1毛の鞭毛で運動する。通性嫌気性で、芽胞は形成しない。60℃、15分程度で死滅するので、加熱調理は本中毒の予防に有効な手段である。また10℃以下では増殖しないので、食品の低温保存は食中毒予防に欠かせない。
腸炎ビブリオ食中毒とその特徴
(1)中毒の発生状況
わが国では毎年件数にして約1,000件、患者数で約36,000人の食
中毒が発生していて、件数、患者数とも減少する傾向は見られない。病因物質の判明した
食中毒事件で細菌性食中毒は件数の90%、患者数では97〜99%を占めている。腸炎ビブリ
オ食中毒事件は、件数では全細菌性食中毒の中で常にトップの座を占め、表1に示したよ
うに、最近3か年の50〜60%が本菌によるものである。
|
|
|
(2)原因食品
過去5年間の厚生省の食中毒統計を見る
と、腸炎ビブリオ中毒件数(昭和57〜61年、5年平均353件)の37%は鮮魚介類、
ことに刺し身、たたき寿司などによるもので、野菜加工品(漬物など)10%、複合調
理食品(折り詰め弁当など)8%、その他の食品15%、そして残りは原因食品不明と
なっている。近年、漬物類
の低塩化傾向が目立っているが、家庭などでは「浅漬け」に
よる腸炎ビブリオ食中毒が増加している。昭和58年9月には、岐阜県大垣市のO給食
センターで調理された「きゅうりとちくわの中華和え」によって3,045名(摂食者
4,111名、発病率74.1%)という、かつてない大規模な腸炎ビブリオ食中毒が発生した。
|
|
|
|
この中毒は別の料理に使う生イカを洗浄し、同じ容器で「きゅうり」を洗浄しているところから、生イカに付着していた本菌が「きゅうり」を汚染したものと考えられている。さらに細切りされた「きゅうり」は4%の食塩水で室温下約16時間放置されていたという。
|
|
|
(3)中毒の症状
潜伏期(食べてから発症するまでの時間)は約6〜32時間で、8〜15時間の事例が多い。激しい上腹部の腹痛(しばしば胃けいれんと間違われる)、次いで激しい下痢(数回から十数回、水様便)が主症状で、発熱、吐き気、嘔吐を起こす人もいる。ごく少数ながら死亡例もある。
(4)中毒予防のポイント
@魚介類は調理前に流水(真水)でよく洗うこと。
A魚介類に使った調理器具はよく洗浄、消毒して二次汚染を防ぐこと。
B魚を調理したまな板で、野菜やハムなどを調理しないこと(まな板の使用区分を決め、こ れをよく守ること)。
C魚介類はわずかな時間でも水温、少なくとも5℃以下で冷蔵保存すること。
D腸炎ビブリオは夏季の室温では速やかに増殖するので、調理した食品はできるだけ低 温で保存するか、できるだけ早く食べること。
|
|
|
ワンポイント・レッスン
増殖の極めて早い腸炎ビブリオ
腸炎ビブリオ中毒は、しばしば鮮度の極めて良好な魚介類を食べて発生する。細菌の増殖は細胞分裂によって行われ、その分裂に要する時間を世代時間と言っている。
|
|
|
腸炎ビブリオは35〜37℃という至適条件では8〜10分で分裂するが、この世代時間はあらゆる細菌の中で最も短かい。一般に細菌の増殖は、2nという形で表される。世代時間が10分ということは、1時間に6回細胞分裂が行われることで、菌数は1時間で26(=64個)、
2時間で212(=40,962個)、3時間で218(=262,144個)になる。腸炎ビブリオの発症菌量は菌株によって異なるが、少なくとも数千万から数億個といわれている。かりに最初に1g当たり1個の汚染菌量として、100gの刺し身中の菌量は、3時間後には218×100、つまり
2,600万個という菌量になり、この量で中毒が発生することになる。一方、大腸菌や魚の腐敗細菌の世代時間は、一番いい条件で世代時間は約20分である。これら細菌は3時間後には、23×3時間=29(=512個)になるに過ぎない。この程度の菌量では外観や臭気には全く異常は認められない(腸炎ビブリオには腐敗力は微弱とされている)。
|
|
|
|
実際のイカ肉について37℃保存した実験結果を図1に示した。対照のイカは
6時間後に生菌数が104/g、10時間で107/gとなり初期腐敗に適した。一方、腸炎ビブリオ汚染試料では、2時間後に汚染菌は104/g、4時間で106/gとなり、6時間後に初期腐敗となった。図中線で囲んだ1.5〜4.5時間の範囲では鮮度良好と判断されたが、この時すでに中毒菌量に達していた。
|
|
|
(河端俊治:国立予防衛生研究所食品衛生部客員研究員・農学博士)
|
|